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第2章 「いわき市・東日本大震災の証言と記録」記録誌及びDVD(平成25年3月25日発行) | いわき市役所

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(1)

    地 震 、 津 波 、 原 発 事 故 が 連 続 発 生 第 2 章  い わ き 市 を 襲 っ た 大 震 災

(2)

1 東北地方太平洋沖地震

(1) 巨大地震の発生

① 3月 11 日午後 2 時 46 分

りにマントル、さらにその表面に取り巻く、薄い 地殻で構成されている。マントルの外側、つまり 地殻との間にはプレートと呼ばれる岩板が乗って いるが、文字通り、一枚岩ではなく、地球はいく つかのプレートで構成され、しかも絶えず動き、 その摩擦が大小の地震となって地球上を揺らし た。

 では、日本海溝付近ではどうか。日本は北ア メリカプレートの上に乗っているが太平洋沖で は、太平洋プレートが潜り込む状態になっている。

(図2-3)

 このプレートの境目が日本海溝と呼ばれる太平 洋沖の南北のラインとなっている。

 そのときは、午後2時46分18秒に訪れた。(図2-1)

 本震の地震動は数分間継続し、長い揺れとして体感された。 しかも揺れの大きさのピークは波状的に何度も訪れた。

 大地震は宮城県牡鹿半島の東南東沖約130km(北緯38度06.2分、 東経142度51.6分)付近の海底24kmを震源として発生した。この 大地震の場合、震源域が広く、岩板がくずれた範囲は岩手県 沖から茨城県沖まで南北約450km(500kmとも言われる)、東西約 200kmと、広範囲に及んだ。

 断層破壊は一つだけでなく、3つの巨大な断層が3分以上を かけて破壊、しかもプレート境界では浅い25km付近から深い 40km付近まで広範囲にわたり、何度か破壊が繰り返された。

 地震の長さと波状的な揺れは、この「想定外」の連動型地震による地殻変動によってもたらされたもので あり、近代的な気象観測開始以来、初めての経験となった。大地震は後に「東北地方太平洋沖地震」、さら にその震災後の影響の複合性から「東日本大震災」と呼ばれることになる。マグニチュードは日本における 観測史上最大の規模で9.0(当初8.8)。宮城県で震度7を、いわき市においても6弱を記録した。

② 大地震のメカニズム

 全世界でみても、1960(昭和35)年、遠く南アメリカで起こったチリ地震(マグニチュード9.5)、1964(昭和39)年 のアラスカ地震(マグニチュー

ド9.2)、2004(平成16)年にイン ドネシア・スマトラ島沖で 起こった地震(マグニチュード 9.1)に次ぐ、記録が確かな 1900(明治33)年以降、4番目 の巨大地震となった。(図2-2)  実は太平洋沖に南北に横た わる日本海溝における地下構 造の不安定さ

は、かねてか ら 専 門 家 に よって多くの 指摘がされて いた。  地球は中心 に核、その周

 ここでは海側のプレートが陸側のプレートに沈み込む地殻変動(西方へ年間数cm移動)が働いており、しかも、 プレートの間には圧力が生じる。圧力関係が釣り合っているうちは圧力エ ネルギーを蓄えることができるが、永年蓄積した圧力のひずみが限界に達 して跳ね上がる。これが「逆断層」である。一方、引っ張る力の差異が大 きくなって釣り合いが取れなくなったときできるのが、「正断層」である。 後述するように、誘発地震では、まるで逆断層で奪われたエネルギーを戻 そうともいうような「正断層」が起こった。(図2-4)

地震名 項目 発生年 チュードマグニ 地震のエネルギー比較(円の大きさ)

チリ地震 1960 9.5 7943

アラスカ地震 1964 9.2  …

スマトラ島沖地震 2004 9.1 1995

東北地方太平洋沖地震(東日本大震災) 2011 9.0 1413

明治三陸地震 1896 8.2 89

関東大震災 1923 7.9 32

阪神・淡路大震災 1995 6.9 1

図2-3 北アメリカプレートと太平洋プレートの関係(概念図)

海 溝 千 島

トラフ

(細長い海底盆地)

(北米プレート)

太平洋プレート ユーラシア

プレート

フィリピン海 プレート

南海トラフ

逆断層型

正断層型

押されてずれる

引っ張られてずれる

図2-4 逆断層と正断層(概念図) 函館市

青森市 盛岡市 秋田市

仙台市気仙沼市 福島市郡山市

日立市いわき市 水戸市

横浜市 甲府市

さいたま市

7 4

4

4 4

3 4

4 4

6 6 5 5 5

5 5

5 55 5

6 6

6 6 6 5

6 6

6 6

震源地M9・0(

14時

46分)

図2-1 午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地 震による各地の震度〔資料:気象庁発表〕

チリ地震

スマトラ島沖地震 東日本大震災

明治三陸地震 関東大震災

阪神・淡路大震災

6.5 7 7.5 8 8.5 9 9.5 10

(注) 横軸はモーメントマグニチュード(Mw)、円の大きさは地震のエネルギーの大きさ(マグニチュードが1大きいとエネルギーは約32倍)を 表す。阪神・淡路大震災における地震のMwは6.9(気象庁発表マグニチュードは7.3)。

資料)国土交通省

注)横軸はモーメントマグニチュード、円の大きさは地震のエネルギーの大きさ(マグニチュードが1大きいと、エネルギーは32倍) を表す。

図2-2 地震エネルギーの大きさ比較〔資料:国土交通省〕

いわき市

2011/3/11 M9.0

120cm(牡鹿)

図2-5 沈降した地殻変動の状況

〔資料:「本震以降に伴う地殻変動」(国土地理院)から掲載〕 図2-6 東方へ移動した地殻変動の状況

〔資料:「本震以降に伴う地殻変動」(国土地理院)から掲載〕 いわき市

2011/3/11 M9.0

2011/3/15 M6.4 M6.7

2011/3/12

(3)

注)

1 ○の大きさはマグニチュードの大きさを示す。 2 マグニチュード7.0以上の地震に吹き出しを付す。

 今から1140年余前、平安時代となる貞じょうがん11(869)年5月26日、陸む つ の奥国くに 東方の海底を震源とする大地震が起こった。地震の規模は少なくとも マグニチュード8.3以上と推定されている。

 正史となる『日ほんさんだいじつろく』はこのときの様子を伝えているが、こ れをわかりやすく解釈すると、

「夜にも関わらず発光現象が起きて昼のように照らし、ある者は起き ることもできず、(倒壊)家屋の下敷きとなって圧死し、ある者は地割 れで生き埋めになり、多数の被害者が出た。驚いた馬や牛は鳴きなが ら互いを踏みつけて走り回った。(中略)海が雷のような音をたてた。 荒れ狂う海は渦巻きながら膨張し、巨大な波はまたたくまに城下(陸 奥国府・多賀城)を襲った。海は数十、百里(見渡す限り)に広がり、ど こが地上と海の境だったのか分からなくなった。いまや道も野も海と 化した。船で逃げる余裕もなく、山に登ることも難しく、溺死したも のは一千人を数える。人々は田畑も来年植える苗もほとんど失ってし まった」と報告されている。(図2-7)

 被害の報告は常ひ た ち(現茨いばらけん、下しもうさ(現千葉、茨城県)、上かず・安(現 千葉県)からもあった。

 人口が少なかった時代の1,000人の溺死は、まさに壊滅的と言わざ るを得ないほどだ。

 その後、同年10月13日、地震・津波の被害状況を調査した陸奥国地 震使の復命を受けて、清せいてんのうは詔みことのりを発す。「陸むつくにざかいしんもっとも甚はなはだし く」、つまり最も被害の大きいのは陸奥と常陸の国境(磐いわ地方)であり、 被害者の租税を免除している。

 その後、室町時代に同様の地震・津波が起きたという説があるもの の、明らかになっていない。

 時代は下って、江戸時代初期の慶けいちょう16(1611)年10月28日の三陸沖を 震源域とする大地震では、貞観地震や今回の地震と同様に東日本の太 平洋沿岸に津波が押し寄せ大きな被害をもたらしたが、被害の状況は 明らかではない。

 延えんぽう(1677)年10月9日には、房総沖を震源域としてマグニチュー ドは8.0程度と推定される大地震が起き、津波を伴った。『磐いわりょうないおお

かぜ

あめ

おお

なみ

こう

ずい

せつおぼえがき』によると、江、豊とよ両浦で380軒のうち 218軒が流失したとあり、このほか小はま、永ながさき、中なかのさく、薄うすいそ、四よつくら、 江あみで流失330軒とある。死者・行方不明者は130人余であった。い

わき地方全体ではさらに被害が大きかったものと考えられる。津波の高さは福島県沿岸で3.5 ~7mと推 定されている。(写真2-1)

 磐いわたいらはんの出来事を著した『萬よろずおぼえがき』には、この被災者に対し、新たに中ちゅうげん(武家奉公人)50人を採用、

震災クリップ① 津波を引き起こした過去の地震

米3石こくを与えた、また津波の被害で作物が育たなかったので年貢を免 除した、と記述されている。

 寛かんせい(1793)年1月7日の地震は宮城沖を震源地としてマグニ チュード8.0 ~ 8.4程度と推定され、津波を伴い、いわき地方でも犠牲 者を出している。

 明治時代以降では、昭和8(1933)年3月3日に発生した昭和三陸地 震津波によって、久ひさはまで1.5mを記録した、と報告されている。  昭和13(1938)年5月23日には、塩屋埼沖を震源地とする、推定マグニ チュード7.0の地震が起きた。小はまには発生後22分で振幅83cmの津 波が押し寄せたと記録されている。同年11月5日には福島県東方沖地 震が発生。小名浜に押し寄せた津波の振幅は107cm。塩屋埼灯台が被 害を受けた。マグニチュードは7.5と推定された。震度はいずれも5 の強震であった。11月の地震では余震が続いた。11月中の有感地震は 300回、12月にも23回を数えた。(図2-8)

 昭和27(1952)年11月5日に発生したカムチャッカ南東沖地震による 津波は中之作で2m、昭和35(1960)年5月23日午前4時過ぎ(日本時間) に発生したチリ地震による津波は、発生後約23時間後の翌朝、太平洋 沿岸に来襲、小名浜で3.1m、久之浜で2.8mを記録した。後者の津波で、 いわき地方では3人が犠牲となった。

 いずれにしても、このような場所では周囲の圧力によっても岩板がズレやすく、「活断層」と呼ばれる。  大震災によって、東日本では東方に移動し、さらに沈降した。国土地理院が全国に設けてある電子基準点

(いわき市では4か所)でいわき市の変化をみると、東方への水平変化量は153cm ~ 191cmで、高さの変化量 は-33cm ~-50cmに達した。(図2-5、6)

③ 大地震が余震を誘発

 巨大な震源域は周辺に影響を及ぼし、大地震を誘発し た。マグニチュード7以上だけでも下記のとおり頻発した。

(図2-9)

○3月11日 午後3時8分 マグニチュード7.4 岩手県沖

○3月11日 午後3時15分 マグニチュード7.7 茨城県鹿しまなだ

○3月11日 午後3時25分 マグニチュード7.5 本震域東方海域 余震、または誘発地震はその後も続いた。

○4月7日 午後11時32分 マグニチュード7.2 本震域西方海域

○4月11日 午後5時16分 マグニチュード7.0 いわき市内陸

○7月10日 午前9時57分 マグニチュード7.3 本震域東方海域  プレート境界の地震は通常、陸側のプレートが海側に乗 り上げる逆断層型だが、大震災直後には滑りすぎたプレー ト境界が元に戻ろうとする力が働き、余震のなかには陸側 がくずれ落ちるような正断層型の余震も発生した。つまり、 大震災後、プレートのなかでは多くの圧縮される力と少な い引っ張られる力が複雑多岐に起こり、大小の余震を引き 起こしているものと考えられた。また境界部分以外におけ る破砕現象の有無やそのメカニズムなどについて、なお一 層の研究成果が待たれる。

仙台 石巻

浪江町

いわき

城 茨

日立

福島

宮城

太平洋 N 50km

注)「●」は貞観地震で津波被災地として伝 わる場所」

図2-7 貞観大地震における津波被災地 として伝わる地(宍倉正展氏論文)

〔平成23(2011)年3月28日付『福島民友』を、 一部改変して掲載〕

写真2-1 泉藩下川村剣浜で起きた延宝 の津波などによる被害者を供養するた め、元禄9(1696)年に建てられた碑 小名浜臨海工業団地建設のため、住民の移 転とともに現在の泉もえぎ台一丁目に移さ

〔平成24れた。 (2012)年10月 いわき市撮影〕

図2-8 福島県東方沖地震の震度分布

(昭和13(1938)年11月5日)〔資料:気象庁〕

2012年M7.3 12月7日 17時18分

図2-9 東北地方太平洋沖地震の震源域と余震分布

〔資料:気象庁発表を、一部改変して掲載〕

(4)

ことによるものであった。

 これら本震に伴う地殻変動は広い範囲で働き、し かも本震の影響を受けてひずみがたまりやすく、本 震から離れた想定外の場所においても大きな地震が 誘発されやすい状況となっていた。そのさなかに起 こった正断層型の地震であった。

 このほかにも、いわき市内ではさまざまな場所を 震源とする地震が起こった。小がわまちねこなきやま周辺の二ふただんそう(4月12日午後7時15分に震度4など)、水みずいしやま 付近の赤あかだんそう(3月23日、3回の震度5強など)など においては、頻繁に地震が起こった。(図2-11)  これら断層は、かつて炭鉱開発の是非を決定する に際し必須事項であったことから、存在は明らかに されていたものの、活断層としては認識されず、し たがって成り立ちや構造などについて詳細に研究さ

(2) 直下型地震の発生

① 大地震の影響を受けた直下型地震

 東北地方太平洋沖地震から1か月後の4月11、 12日、連続して直下型の大地震に見舞われ、いわ き市中・南部に大きな被害をもたらした。3月に 起こった大地震の影響(誘発地震)とみられ、い ずれも震度は6弱の大きさであった。(図2-10)  4月11日には午後5時16分、井ざわだんそう(田びと まち

いし

ずみ

-川かわまち南端の地下約6kmで起こり、マ グニチュード7.0であった。この場合、断層が地 表に現れたのは井戸沢断層に沿って西側に出現し た断層(塩しおひらだんそうであった。しかも井戸沢断層 よりも北北西方向に約5km延びた場所で地割れ や亀裂が生じた。(写真2-2)

 4月12日は午後2時7分、湯だけだんそう(遠とおまち いり

とお

-常じょうばんふじわらまちの西側、地下約15kmで起こり、 マグニチュード6.4(当初6.3)。従来の研究により 確認されていた断層に加え、長い同断層の南東方 向に約2km延びた場所で、地割れや亀裂が生じ た。(写真2-3)

れてこなかった。

(3) 地震による災害の状況

① 見えてくる自然地形と人工構築物の関係

 私たちが住む土地は、地球規模で繰り返された温暖化・寒冷化や火山活動、加えて侵食や堆積が作用して、 現在の山岳や平地、台地、海、河川などが成立した。

 その後、「人」が登場して、田畑を開墾し、用水路を通し、豊かな生活をめざした。明治時代以降には、 産業が発達し、私たちの物質的な生活は格段に豊かになり、衣食住も整えられてきた。

 私たちの生活はこうした営みの積み重ねの上に成り立っているが、今回の大地震や余震、あるいは誘発地 震は、この過程を突き崩し、これまで姿を見せることのなかった過去を露呈させることになった。

 今回の被害状況は、現在の姿が裂けて過去が姿をあらわしたようなものであり、土地の形状や昔の地 形、建物の強度など見え方はさまざまであるが、自然地形と人工構築物の関係をみていくと共通するものが あった。(以下、地震、津波の災害状況については、『証言 2011年3月11日 いわき~伝え継ぎたい東日本大震災の記録~』

〔いわき自然史研究会発刊〕に負うところが大きい)

② 軟弱な地盤

ア 軟弱地盤の成り立ち

 今回の地震で大きな災害を起こした要因を土地の形状に求 める場合、軟弱な地盤が挙げられる。

 一般的に地表は岩盤や土砂で構成されている。土砂は粘土、 砂、礫などがさまざまな割合で混じっており、それぞれに土 の硬さ、軟らかさが生じる。その土砂層の硬度に比例して、 外からの圧力で容易には沈降しない、あるいは容易に沈降す る、という現象が起きることになる。

 軟らかい地盤の場合、土砂を構成する粒の集まりが粗く、

② 誘発地震の地殻活動

 大きなこの二つの地震が起こった場所は、いずれもプレート内の浅い場所で起こった直下型地震であった が、これまで断層活動度が低いとされてきた区域であった。

 原因としては東北地方太平洋沖地震が起こった後、陸側のプレートが本震によって押される力から解放さ れたため、反作用として東西方向に引っ張られる力が働くようになり、東側に動いた硬い地盤の移動に軟ら かい地盤がついていけず、地盤の境目となったいわき市西部の断層付近に隙間ができて地殻活動を起こした

写真2-2 落差2m前後の場所が連続して地表に出現(田人町)

〔4月13日 いわき市撮影〕

写真2-3 水田の地割れが見える常磐藤原町地内 道路は主要地方道いわき-石川線。簡易舗装した道路は色が変 わっているのがわかる。

〔4月18日 福島県消防防災航空隊提供〕

注)★は4月11日(井戸沢断層付近)、4月12日(湯ノ岳断層付近)に発生した地 震の震源地。

図2-10 井戸沢断層、湯ノ岳断層の位置〔『土地分類基本調査図(平成5年) から作成/ 1:200,000地形図〈原寸×0.93〉 白河(平成18年修正) 国土地 理院発行〕

震度6弱4月12日

午後2時7分

震度6弱4月11日 午後5時16分

写真2-4 軟弱地盤であった、植田町根小屋の被害

〔5月 いわき市撮影〕

赤 井 断 層

午後6時55分震度5強

午前7時12分震度5強

午前7時36分震度5強

注) ★は3月23日に発生した地震の震源地。 図2-11 二ツ箭断層、赤井断層の位置

〔『土地分類基本調査図(平成5年)』から作成/ 1:200,000地形図〈原寸〉 白河(平成18年修正) 国土地理院発行〕

(5)

つまり密度が薄い。こ のような場所では、地 震などの力が加えられ ると、土砂の粒と粒の 間が密着し、その結果、 地盤の沈降が起こる。  軟弱地盤の典型は、 沼 地、 河 川、 湿 地 な どの土地形状である。

(写真2-4)

南南東の方向に走っていることが確認されているが、被害の表出個所はこれに平行して西へ約1kmずれて おり、地震は西側が落ちる正断層であった。その落差は70 ~ 80cm、最大では2m近くの落差が生じた個所 もあった。表出した断層の北側は田人町石いしずみ字綱つな、南は同黒田字大おおまでの約11km。複数の断層線か ら成る井戸沢断層の最も西側の断層に沿ったものであるが、今回明らかになった断層は、新たに“塩しおひらだんそう

”と呼ばれた。

 このような土地には、これまで開発の手が延びていなかったが、江戸時代から明治時代にかけ干拓が盛ん に行われ、また近年には河川改修などにより未利用地の開発が行われるようになった。

イ 旧河川・低地

 日本の河川のほとんど全部にあてはまるが、山間部と平地の落差が大きいため、山間部や渓谷を流れてき た河川は、落差のない平地へ押し出されると微妙な地形の高低、大雨、台風などによって、流路を変えるこ とになる。これは蛇行、つまりちょうどヘビがうねったように流れて、洪水被害と引き換えに豊かな土壌を 紡ぎだす。

 江戸時代になると土木技術が進み、流域では用水堰の開削などにより美田が広がっていく。

 洪水対策も進む。明治時代以降では、大きな河川から順次、洪水被害を防ぐための築堤と河川の直線化を 中心とした河川改修が進められ、曲線部分は旧河川として放棄された。

 ところが、昭和30年代からの高度経済成長は第2次・第3次産業の発達を促進させ、都市化となって地 方にも波及し、旧河川や水田を埋め立てて、土地区画整理事業や道路建設が進められ、街は郊外へ拡大して いった。

 かつての自然形状の上に、新たな構築物が次々に立ち上がり、その変わり様は過去の土地形状を忘れさせ るほどであった。

ウ 液状化現象

 水を含んだ砂が泥のような状態と化すことを「液状化」と呼ぶ。このような地形では、ふだんは砂粒と水 がお互いの摩擦力を保っているが、それよりも大きな地震のような力が加わるとバランスが崩れ、水が砂粒 の間から押し出され、地表へ噴出する現象を指すこととなる。(写真2-5、6)

 このような場所では、水が地表へ押し出された分、砂粒の密度が濃くなる一方、地盤が沈降して、しかも その現象が一様でないことから、その落差が家屋の傾き、倒壊などの被害をもたらすことになる。

③ 断層・斜面崩落

ア 断層

 断層活動した付近においては、地下部分では容易に解明されないが、地表で起こる場合は、隆起や沈降、 横ズレ、地割れなど、さまざまな様相をみせる。(図2-12)

〈井戸沢断層(塩ノ平断層)

 東北地方太平洋沖地震の誘発地震とみられる4月11日の地震(20ページに記述)では、井ざわだんそうとの関連 で動き、地表面にその爪跡を残した。

 井戸沢断層は遠とおまちいりとおから田びとまちくろ、同旅たびうと、川かわまち、三さわまち、勿こそまちしろよね、同酒さかと北北西から

写真2-5 錦東小学校校庭の液状化現象

〔3月12日 門馬俊治氏提供〕

写真2-6 四倉中学校の液状化現象

〔4月6日 いわき市教育委員会事務局撮影〕

注)『土地分類基本調査図』を基に、これまで明らかでなかった塩ノ平断層を加えた。

図2-12 市内の断層位置図〔『土地分類基本調査図(平成5年)』から作成/ 1:200,000地形図〈原寸×0.81〉 白河(平成18年修正) 国土地理院発行〕

大風断層

湯ノ岳断層 赤井断層

二ツ箭断層

白坂断層

夏井断層 赤沼断層 平窪断層

名木断層 仁井田川断層

藤原断層 烏館断層

山田断層

大倉断層

(6)

 このラインには一部田 人町の中心が位置してお り、中学校のプールが大 きく損壊し、また断層の ズレによって建物の土台 が崩れて大きくゆがむな どの壊滅的な被害を受け た。ほかにもほぼ一直線 に農地や道路に亀裂や斜

写真2-8 市長が田人町の被災現場を視察

〔4月14日 いわき市撮影〕

面崩落が認められた。(写真2-7、8)

〈湯ノ岳断層〉

 翌4月12日、東北地方太平洋沖地震の誘発地震(20ページに記述)では、 湯だけ断層が動き、地表面にその爪跡を残した。南西側が落ちる正断層 であった。

 断層が表出したのは遠とおまちいりとお字入にゅうじょう付近から、遠野町深やまを経 て常じょうばんふじわらまちたきざわ付近まで、西北西から東南東の方向に断続的にほぼ一 直線にわたっており、その延長は15.5kmに及ぶ。

 その途中、南東延長上の常磐藤原町田ざかから常磐藤原町滝沢まで はこれまで指摘されていた湯ノ岳断層から枝分かれした藤原断層上に あり、しかも延長上に常磐西にしごうまちや小はましまなどにおいて部分的に家 屋被害が集中していることから、湯ノ岳断層との関係がうかがわれる。

(写真2-9)

 これら断層の起こった区域を中心として家屋の倒壊、地割れ、田畑の落差、井戸水の枯渇など、日常生活 に支障を来たす被害をもたらした。

〈その他の断層〉

 誘発地震は市内小がわまち、三まちにおいても頻繁に起こった。この付近には二ふただんそう、赤あかだんそうなどが走っ ているが、湯だけだんそうや井ざわ沢断だんそう(塩しおのノ平ひらだんそうのように断層ラインに沿って影響が表出することはなかっ た。したがって、二ツ箭断層、赤井断層などが直接動いたかどうか明らかではない。

イ 斜面崩落

 河川が急斜面を穿ち流れ、また地殻変動の多い日本では、急斜面や海食崖の地形が多く、外からの力で崩 壊する場合が多い。これらの現象は土石流、山崩れ、地滑り、地割れなどさまざまに呼ばれている。

〈海岸斜面の崩落〉

 いわき市の海岸線約60kmのうち、海に突き出た地形の海食崖に挟まれた海岸は磯浜を形成し、天然の地 形を利用した漁港が成立した。また、沿岸にはいくつもの岩礁が点在し、このことが今回の地震では津波の 影響との複合的な要素も加わって、被害の大小を決定づけた。

 殿とのがみみさき(久ひさはままち、照てるしま(泉いずみまちしもがわなどの部分崩落はこれまでの風化作用に力が加えられて生じたものと 考えられる。弁べんてんじま(久之浜町)が大きな被害を受けなかったのは島が硬い砂岩で出来ていることと、周囲 の海岸に点在する硬い岩礁が津波を緩和させたものと考えられる。

〈陸上斜面の崩落(自然斜面)

 陸上では自然斜面と人工斜面に大別される。

 4月11日午後5時16分に起きた井ざわだんそう(20ページに記述)の南東端を震源とする震度6弱の誘発地震で は人的災害が生じた。田びとまちいしずみあざかいでは、標高405mの山頂付近から山腹崩落が起こり、山裾の集落を 襲った土石流によって3人が犠牲となった。 

 この場所は、今回明確になった塩しおひらだんそうのラインから西方へ約5kmの地点。『土地分類基本調査図(平成 5年)』では、貝屋断層(23ページ・図2-12)が表記されているライン上に位置している。深い谷を築きながら 東流する鮫さめがわを縫うように主要地方道いわき-石いしかわせんが続き、これに沿った集落を直撃したもので、背後に 控えていた標高405mの山頂付近からおよそ250m下の谷へ幅約100mにわたって山の斜面が滑り落ちた。そ の勢いは谷を埋め、岩石や泥が対岸の人家にも被害を与えた。

 当時、激しい降雨によって緩んでいた中腹から下部の岩石を地震が突き崩し、加えて風化していた山頂付 近の岩盤も引きずられたものと考えられた。

 このほか、いわき市内では断層付近以外にも、多くの場所で風化を伴っていた軟らかな岩盤が今回の本震・ 誘発地震により斜面崩落を起こした。

〈陸上斜面の崩落(人工斜面)

 人工斜面個所は自然の地形を整地して建設された道路や住 宅などにみられる。水抜きや擁壁の施工などによって自然作 用をかわしていても、それを超えた力が働くとバランスが崩 れ、崩落につながる。

 4月11日の地震では主要地方道いわき-石川線の人工斜 面が2か所にわたって大きく崩れ、交通障害を引き起こした。  1か所は石住字才さいばち地内で、塩ノ平断層のラインから西方 へ約2kmの地点。人工斜面の法面が幅100mにわたって崩落 し、走行中の自動車1台が巻き込まれて運転手1人が犠牲と なった。土砂は鮫川の対岸まで押し寄せ、全面的に交通が遮 断された。中通りと結ぶ産業の重要路線だけに特に物流に与

えた被害は大きく、迂回する仮道路が完成したのは被害から半年が経過した9月20日であった。(写真2-10)  もう1か所は渡わたなべまちかみかまあざみね、字青あお地内で、塩ノ平断層のラインから東方へ約9kmの地点。翌日 の4月12日に起こる湯だけだんそうの南西わずか1kmの地点。かつては隧道であったが、道路拡幅の際に切り 通しに改変して、両側に擁壁を施工した。これが崩れ、土砂除去と仮工事によって開通したのは8月31日で あった。

 これらの崩壊はもともとゆっくりと谷底へ向かって落ちていた土砂が地震の揺れで加速し、深い底から一 気に崩れる深層崩壊とみられた。

 山やままちを通る常じょうばん磐自どうしゃどうにおい ても擁壁が崩れて、一時上下線が交 通遮断となった。(写真2-11)  このほか、多くの市道が通じるい わき市各所で法面崩落などが起こっ た。(写真2-12)

 人工斜面のうち最も深刻な被害を 及ぼしたのが、住宅団地、学校のよ うに広い土地を確保して造成した開

写真2-7 連続して起こった断層のズレ上 にあった田人中学校のプール

〔4月13日 いわき市撮影〕

写真2-9 藤原断層の上で被災した常磐藤 原町の建徳寺

〔4月14日 菅波晋氏提供〕

写真2-10 主要地方道いわき-石川線、田人町才鉢地内 の崩落現場〔4月 陸上自衛隊第8普通科連隊提供〕

写真2-11 上下線を塞いだ大量の土砂で 一時交通止めとなった常磐自動車道の山田 町地内〔4月11日 東日本高速道路㈱提供〕

写真2-12 内郷宮町桜本地内に通じる市 道宮沢-蛭内線の法面崩落

〔4月17日 いわき市撮影〕

(7)

部分を埋める(盛り土)必要がある。できるだけ面積を確保するため縁辺部 では石やコンクリートの擁壁で盛ることになり、おのずと地質の強弱が生じ るようになる。(写真2-13、図2-13)

 団地造成の際に谷間を埋めるような地形であると、団地の中に盛り土帯が 出来ることになる。地震の揺れで盛り土部分が緩み、団地全体の地下バラン スが崩れたため、住宅のゆがみ、縁辺部分の擁壁崩落や亀裂などを引き起こ して、避難を余儀なくされた団地も発生した。

 もともとの地盤が軟弱な堆積岩でできた丘陵地に開発された住宅団地の場 合は、地滑りなどが加わって、被害が拡大した。

発区域であった。

 丘陵地を平らにする場合、高い部分を削り(切り土)、低い

 地盤沈下や地滑り、急傾斜地崩壊、擁壁崩落などによって住民が安心して日々の生活を送れない状況に陥っ ている地域は、市内で少なくとも326か所で確認された。(182、183ページに記述)(写真2-14)

2 巨大津波の発生と来襲

(1) 大地震と余震によって津波が増幅

① 地震発生後、1時間前後に2波、3波の巨大津波

 平成23(2011)年3月11日午後2時46分、東北地方太平洋沖 地震および断続的に続く余震は大きな津波を引き起こした。  午後2時49分には太平洋沿岸部に「大津波警報」3mが 発令された。地震発生から28分後の午後3時14分には6m に修正。さらに44分後の午後3時30分には10m以上、と大 津波警報は修正された。津波の範囲は東北地方から関東地方 北部の太平洋を中心に、北海道から沖縄県にかけての広い範 囲に及んだ。(図2-14)

 気象庁の津波観測資料によれば、小はまでは第1波は、大 地震発生22分後の午後3時8分、北東からの波2.60mとなっ

写真2-13 植田小学校校庭の地割れ

校舎のうち、教室付近の切り土を校庭に盛ったと考えられる。

〔4月6日 市教育委員会撮影〕

写真2-14 四倉の市営住宅梅ケ丘団 地では、敷地内の一部が崩壊

〔4月27日 いわき市撮影〕 図2-13 植田小学校が建設される前の地形

〔資料:1:3000地形図〈原寸×0.74〉 (昭和29年7月作図) 1:2,500地形図〈原寸×0.62〉 (平成19年作成)

教室 東田町向山

校庭 プール 植田駅

写真

図2-14 各地の津波警報発令状況

〔資料:「震源、各地の震度、津波警報」(気象庁)から掲載〕 平成23年03月11日18時47分発表

凡例津波警報 津波注意報

大津波 高いところで3m程度以上 津波 高いところで2m程度 高いところで0.5m程度以上

×震央

図2-15 いわき市における津波の高さ

〔資料:公益社団法人土木学会「東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループによる速報値(平成24(2012)年2月3日参照)〕

0 1 2 4 6 8

キロメートル

浸水範囲概況図

国土地理院

凡例

浸水範囲 撮影範囲

①久之浜町久之浜字館ノ山(6.9m)

②久之浜町久之浜字町後 (5.92m)

③久之浜町田之網字浜川 (7.45m)

④四倉町字東二丁目 (7.55m)

⑤四倉町下仁井田字須賀向(4.86m)

⑥平下神谷字釜ノ台(6.57m)

⑦平藤間字鯨 (5.08m)

⑧平沼ノ内字浜街 (4.92m)

⑨平薄磯字中街 (8.51m)

⑩平豊間字塩場 (8.57m)

⑫江名字江ノ浦 (6.81m)

⑬中之作字須賀 (5.07m)

⑭永崎字川畑  (5.38m)

⑮小名浜下神白字松下(6.81m)

⑯泉町下川字大畑 (6.69m)

⑰小浜町渚  (7.1m)

⑲錦町須賀  (6.7m)

⑳勿来町関田須賀 (5.94m)

勿来町九面九浦町 (4.9m)

⑱岩間町岩下 (7.66m)

⑪平豊間字下町 (8.57m)

(8)

れている。共振現象はたらいに入れた水を波の周期に合わせて揺らすと波が大きくなる現象で、通常の津波の場 合、最大波の到達以降、急激に波が衰えるのに対し、波が衰えず長時間続く。このことが小名浜港周辺で起こっ たものと考えられた。

 国土交通省が東日本大震災による津波被災市街地の復興に向けて、被災市町村の復興計画づくりを支援す  市内の津波の高さ(東京湾平均海面からの高さ)をみると、

最大は平たいらとよ字下しもちょう町の8.57m、最小は小はまこうの4.4mで あった。同じ福島県の富とみおかまちの21.1m、相そうの14.5mに 比べて小さいのは、津波の方向(28ページに記述)やいわき 市の沿岸部に津波の緩衝となる岩礁や港湾施設が多いな ど、さまざまな要件が重なった結果と推定された。(以下、 津波の高さの記録はいずれも公益法人土木協会「東北地方太平洋沖 地震津波合同調査グループ」による速報値)

 また、小名浜港周辺においては、2波、3波による被害 もさることながら、最大の津波を記録したのは地震から5 時間後の午後8時ごろ、第8波であった。(写真2-15)  研究者によると、津波の「共振現象」によるものと指摘さ

図2-16 巨大津波のメカニズム〔資料:「海溝型地震発生の模式図」(国土地理院)から掲載〕 1. 太平洋プレートが東から東北地方の乗る北米プレートの下に沈み込んでいる 2. 北米プレートが西向きに引きずり込まれ東北地方は西向きに押される   (東西圧縮の力を受けて東北地方は東西に短縮する)

3. 固着していたプレート境界面がはがれ(壊れ)て北米プレートが東にのし上がる   (海底で隆起が起きて津波が発生する)

て海岸に到達した。この津波はこの後の津波ほど大きくはなく、市内では四よつくら地区への浸水が確認された程 度であった。

 この津波はその後太平洋を南下していき、茨城県鹿島灘沖で発生した巨大余震(午後3時15分発生)で引き 起こされた津波と増幅されて、主に南からの第2波の大津波となって、午後3時30 ~ 40分ごろ、いわき市 の海岸を襲った。

 専門家の間では、「福島県沖の北側と南側から押し寄せた津波が重なり合った可能性がある」と、福島県 の沿岸で津波が高くなった傾向を指摘する見方もある。

 第1波と第2波の津波来襲の方向が異なっている。福島県沖では、主に北側で北方からの津波、南側で南 方からの波が押し寄せ、沖中央部付近でぶつかったと考えられるが、南側のいわき市において、その勢いや 高さは海岸部の地形(岩礁、海食崖など)によって異なり、一様ではなかった。

 押し寄せる波が大きいほど海底がのぞけるような強い引き波がみられ、いわき市の被害は第2波とその大 きな引き波で多くの人が巻き込まれた。午後4時ごろにふたたび大津波は第3波となって襲い、さらにはこ の間に起こった引き波によって被害は拡大した。(図2-15)

 しかも、60kmにおよぶ海岸線と集落、それに小名浜港をはじめとする8つの漁港などを持ついわき市に とって、津波による被害は甚大で、多くの人命が奪われることとなった。

 以降、津波は小さくなりながらも、深夜までに十数回、いわき海岸に押し寄せた。大津波警報は1日以上 続いた後、翌日の午後8時20分に津波注意報に引き下げられた。津波注意報が解除されたのは、3月13日 午後5時58分であった。

② 津波のメカニズム

 津波とは、地震によってプレートが跳 ね上がり、このとき持ち上げられた海水 が周囲に広がっていく現象である。普段 何事もなければ海岸では軽い押し波と引 き波が繰り返すだけであるが、地震に よって起こされた勢いのある波は海岸線 に近づく。一般的に、海岸では津波の行

く手が阻まれる地形となっているので、はけ口を求めて勢いを増すことになる。

 それでも押し寄せる津波の勢いや高さ、向きは震源地の位置、あるいは海岸線近くの海域の状況や海岸の 地形によって異なる。(図2-16)

 たとえば、入り江では岬と岬の間に入った波が狭い陸地に押し込められることから、波が高い位置で押し 寄せる。一方、海岸線が広い場所では、このような状況は生じることなく、一定の力で押し寄せる。  海底地形がなだらかな遠浅の地形であれば、津波はそれほど速度を落とすことなく進み、そのまま速い波 が陸地を駆け上がり高い波となる。一方、海岸が急に深くなるような地形では、波の速度や量が一旦遮断さ れる格好となるので、陸地に上がる波が抑えられる。

(2) いわき市における津波の到達状況と被害

① 海岸の形状によって異なる津波の大きさ

 いわき市における大津波は海岸線60km全域に到達しているが、津波の高さや被害、浸水区域の状況は、 地形や海岸の形状によって異なる。

るために実施した「東日本大震災による津波被災現地調査」(平成23年10 月)によると全壊家屋(流出・撤去・条件付再生可)は42%、半壊家屋(大 規模半壊、床上浸水)が42%、一部損壊家屋(床下浸水)が11%となっている。

(以下、各地域の割合は、この調査に基づく)

② 市内各地区における津波被害

ア 久之浜・大久地区

〈末続、金ケ沢〉

 久ひさはままちすえつぎは市北端に位置し、双ふたぐんひろまちと境を接する地域で ある。津波被災人口・世帯数は92人、29世帯であった。その南に位置 する久之浜町金かねさわの津波被災人口・世帯数は39人、13世帯であった。 ともに海食崖と砂浜が交互に展開する海岸で、砂浜区間は狭く小河川 が太平洋に注いでいる。津波は速度を落とすことなく、陸地に押し寄 せた。津波は小河川を駆け上がり、溢水して家屋や田畑を飲み込んだ。

(写真2-16、17、図2-17)

 両地区ともにJR常じょうばんせんの築堤が浸水の溯上を遮ることになった。築 堤には8mの

溯上痕が残っ た。

 これらの地 区における全 壊家屋(流出・ 撤 去・ 条 件 付 再生可)の割 合は、末続が 77%、金ケ沢 が88%を占め

写真2-15 まだ最高値に達していない小名浜港の津波

〔3月11日午後4時50分ごろ 小名浜機船底曳網漁業協同組合 提供〕

図2-17 久之浜・大久地区〔久之浜町末続、 金ケ沢〕の津波到達範囲の概況図①

〔1:25,000地形図〈原寸〉 上浅見川・四倉(平 成18年更新) 国土地理院発行〕

写真2-16 末続川を溯上して津波が拡大

〔3月12日 福島県消防防災航空隊提供〕

(9)

ている。さらに、流出による全壊家屋の割合 をみても、末続が47%、金ケ沢が73%に達し ており、大きな被害となった。

 この地域では、久之浜町末続地区において 直接死(地震や津波によって死亡。以下、同じ) 6人、関連死(避難途中や避難先で死亡し、認定 された人。以下、同じ)で1人、久之浜町金ケ沢 において直接死3人が、それぞれ亡くなった。

〈久之浜町久之浜〉

 久ひさはまは大おおひさがわの河口に発達した漁港を控 え、江戸時代には“浜街道”の宿場町としても 栄えた。現在、漁港・避難港は殿とのがみみさき北側の 湾に移行している。

 港のある久之浜字あざたてやまにおける津波の高 さは6.9mであったが、港湾施設の被害は比 較的少なかった。岬が南方からの津波の勢い を弱めたと考えられる。(図2-15)

 大久川はその殿上岬南側の付け根に注ぎ込 んでおり、南からの津波を呼び込むような地 形が市街地の被害を大きくした。加えて、街 を囲む防波堤が景観を重視するあまり、緩や かな階段状になっていたため、津波の勢いが 抑止されず、水位を上げながら街中に押し寄 せることになった。津波の高さは久之浜字町まちうしろ

で5.92mであった。津波の到達ラインは、 幾分高く敷設されていた国道6号であった。

(写真2-18、図2-15、18)

 久之浜の津波被災人口・世帯数は、旧国道 より海側が891人、346世帯、旧国道より陸 側が447人、163世帯であった。

 地震発生後、市街地の中央から火災が発生 した。地震後の断水、道路寸断、津波警報が 続いていたことにより消火活動も制限され、 火災は広がった。

 久之浜市街のうち、旧国道より海側では全 壊家屋(流出・撤去・条件付再生可)が64%を占 めた。旧国道より陸側では全壊家屋(流出・ 撤去・条件付再生可)が22%と低くなり、大規 模半壊家屋が25%、半壊家屋(床上浸水)が 26%の割合となった。

 久之浜町久之浜地区においては、直接死で 41人、関連死で3人が亡くなった。

 地震のときは家に居て、あわてて外に出ました。大きな地震の後、大声で近所の人に 呼びかけて私も集会所に向かいました。安否を確認した後、長男と漁港に停泊させてい た自分所有の2艘の漁船に乗り込み、沖合をめざしました。

 父が北洋漁業に従事していた関係で、今までいろんな話を聞き、経験し、津波が来たら沖に行けば大丈夫と 分かっていたので、急いで船を沖に出したのです。

 海では、津波が来る前に波が渦巻いていました。船を出発させて5分後くらいで、南側の塩しおざき方面から津 波が押し寄せてきました。まるで白いカーテンのようでした。海岸部では波がさまざまなものを飲み込んで黒 い濁流となっていたが、沖で見た波は白い色でした。また、返し波もすごい勢いでした。

 沖から久ひさはまの町を見ると、ガス爆発で火柱が上がる光景が見えました。凄惨な光景に思わず声を失ってし まいました。

 海面にがれきなどが漂っており、不用意に船を動かすとガレキで船が壊れてしまうため、碇をおろして、食 うものも食わず、翌日の夕方まで波に揺られながら沖に停泊していました。震災の夜、沖では四よつくら漁港の船や 久之浜の底引き漁船も停泊していましたね。

 震災後一度も漁には出ておらず、これまで漁港のガレキ撤去などを行っています。

 原発事故の影響などもあり、漁師として、漁に出られないことが本当に残念でたまりません。一刻も早く漁

ができるよう心から祈るばかりです。 (平成24年2月取材)

三浦 孝一

(漁師・久之浜町田之網)

1       震        災   憶    の 記  

言い伝えで、津波が来る前に沖へ逃げる

三浦孝一さん

〈波立海岸・田之網〉

 波はったちかいがんは太平洋に突き出た海食 崖とその北側に広がる、弁べんてんじまを含 む磯から砂浜に続く海岸である。津 波は南東方向から弁べんてんじまの鳥居をは るかに越えて海岸に押し寄せた。そ の方向に小河川の浜はまかわが注いでお り、川沿いに津波が駆け上がった。 引き波は海岸を越えた寄せ波ととも に、勢いをつけて浜川を下り、沿岸 を中心に大きな被害をもたらした。 津波の高さは田あみ字浜はまかわで7.45m に達した。(写真2-19、図2-15)

 その南北に位置する久之浜町田之網の津波被災人口・ 世帯数は、160人、56世帯であった。全壊家屋(流出・撤去・ 条件付再生可)が47%、大規模半壊家屋が23%、半壊家屋(床 上浸水)が30%の割合となった。

 田之網のうち南域の字江あみは海岸縁を国道6号が通 じる狭い湾となっており、津波は道路を越えたが、道路 が防波堤代わりとなった。

写真2-17 海食崖の間の狭い平地、金ケ沢の海岸は引き波で あらわれた

〔3月11日午後4時ごろ 福島県消防防災航空隊提供〕

図2-18 久之浜・大久地区〔久之浜町久之浜、田之網〕の津波到達範囲 の概況図②

〔1:25,000地形図〈原寸〉 四倉(平成18年更新) 国土地理院発行〕

写真2-18 激しく津波に翻弄される家屋や自動車

〔3月11日 石川弘子氏提供〕

写真2-19 波立海岸の弁天島に襲いかかる津波

〔3月11日午後3時25分ごろ 鈴木道弘氏提供〕

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